ご飯を食べない息子を前にしたときに

 

 

 

 四月から長男が幼稚園に通うようになり、朝のお迎えバスに乗った姿を見送ることがひとつの楽しみになりました。ですがその時間までにバス乗り場に行かなくてはならず、間に合わなかったらどうしようと気をもむ日もあります。長男の寝起きが毎日良いわけではなく、朝ごはんもスムーズに食べてくれる日ばかりではありません。先日も八時頃まで寝ていたところを起こすと、ご飯とおみそ汁を前にして椅子に座り身体を丸めてぐずり続けました。「どうして泣いているの」「ご飯を食べないの」と聞いても答えず、バスの時間が近付いてくる中、そんなことをしても食べるわけはないとわかっていながら、焦りと苛立ちからご飯をスプーンに乗せて口元に運んでみましたが、長男は頑なになるばかり。腹が立ち「もう朝ごはんを食べずにお腹を空かせたままで幼稚園に行けばいい」と考えていました。それなのに妻が「ママのところにおいで」と言うと素直に妻の膝の上に乗り、しばらくするとご飯を食べ、それからすぐに笑顔を見せておしゃべりを始めました。

 

 子育てをしているとたくさんのことを考えさせてもらいます。不満や、悩み、悲しみのように、言葉にできない思いを抱えている人を前にしたらどうするべきなのでしょう。「なぜ」「どうして」と言葉をかけることだけが正解ではないのかもしれません。何かを抱えたままのその人を、すっぽりと受け止めることが必要な場合もあるのだと思います。感情に振り回され、私にはそれができていなかったと、妻と子どもが気付かせてくれました。『正信偈』にお名前が出る七高僧のひとり、善導大師は「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」とおっしゃっています。それは仏さまの教えは鏡のように私の姿を映してくれるということでしょう。妻と子どもによって自らのあり様を映された私は、その姿を恥じ、変わりたいと強く願いました。