戒律と憲法

 

 浄土真宗は戒律がない宗派と言われます。ですから私たちは「戒名=戒律を守る者の名前」を用いず、「法名=法・教えに生きる者の名乗り」を持ちます。戒律と聞くと、飲酒してはいけない、異性と交際してはいけないなど、生活を縛り付けるものを思い浮かべる方が多いかもしれません。ビールが好きで、結婚もしている私には守れそうにないものです。

 

その戒律は、「戒」と「律」に分けることができます。「律」は破ると罰則のあるもののことで、法律に類するといえます。法律は違反すると罰金や懲役などの罰則がありますね。一方で「戒」は破っても罰則がありません。これは約束などの決まりごとと似ています。罰がないからと、約束を破っていいのかというと、そうではありません。約束を破れば相手からの信頼を失い、約束を守ることが信頼を生みます。「戒」も守ることが信頼を生み、その結果、人と人との関係、集団内での関係がスムーズになるのでしょう。「戒」はその集団が、どのように在るべきか、進むべき方向を示しているといえます。

 

破っても罰則のない決まりというと、私は憲法が頭に浮かびます。憲法は破っても罰金や懲役を課せられることはありません。ですがそこにはたくさんの大切な決まりが記されています。十九条の内心の自由や二十一条の表現の自由、それがあるから私たちは、誰からも制限されることなく自由に考え、自由に発言、発信することができます。そして九条の平和主義によって、私たちは戦争をしない国で安心して生活を送ることができ、他の国からも問題解決の手段として、武力を用いない国として信頼されています。

 

もしも、その憲法という約束を破るのなら、戦後の日本が積み上げてきた信頼が崩れ落ちるでしょう。もしも、その憲法という約束を変えるのなら、その信頼が揺らぐことはないか、私たちの生活が、国の在り方がどう変わるのか慎重に考え、じっくりと話し合わなければならないでしょう。戒律や法律は私たちが守るもの。しかし憲法は私たちのことを守り、私たちが願う未来を示すものなのですね。